文字は読めても理解できないオトナたち

少し前に読んだ本で、とてもおもしろく、激しく同意し、今でも時折思い出す本があります。

AI vs. 教科書が読めない子どもたち

子どもに限らず、これはオトナにもよくあることで、まぁ人のことばかりは言えないのですが、、、
文字は読めても、その意味を理解できないオトナたちが、激増している気がします。
元々一定数はいるのでしょうから、激増ではなく、その程度が激しい人が増えたのか、
それとも、こちらが神経質になったのか。。。

いずれにせよ、ニホンゴで書かれた文字は読めているのですから、「いえいえ、ここに書いてありますから、、、」であっさり終わりにしたくても、それが通用しないのだから厄介です。

格差社会と呼ばれる中で、なんらかの不満や、逆に優越感からもたらされるのか、
それとも「オモテナシ」の意味を勘違いしているのか、、、
理解に苦しむような態度を取る方も増えてきたような気がします。

相手を想い、オブラートで包むような表現では、一切伝わらないことも多く、
伝わらないどころか、都合の良いように解釈され、解決とは程遠くその距離を埋めることさえ面倒で仕方がないことも。

よりわかりやすく、誤解されるポイントのないように、短文というよりも箇条書きに近い感じで、伝えなければならない時代なのかもしれません。相手が小さな子どもであるかのように、あるいは日本語や日本の文化を詳しくは知らない他国の方に伝えるように、言葉を選ぶ必要があるのかもしれません。

相手の読解力を問うよりも、まずは自らの伝える力も試されているのでしょう。

間違いなく賛否両論分かれる子育て論と子どもに与える教育環境。
けれども、それがどんなに嫌われても(おそらく、嫌う人の多くは、自らも与えられず、次の代にも与えられないことへの僻み)、共感されなくても、素晴らしい環境の中で育つニューエリートたちの多くが、これからの世界に多大なる影響を与えることも間違いないのだと思います。教育格差がその後の人生にもたらす格差、悲しいほどに大きすぎる気がします。